「自由からの逃走」は、エーリヒ・フロムによる著書名が、そのまま慣用句の様に使われてもいますね。人々が民主主義選挙により自ら自由を否定してしまう事で招く、全体主義に付いて考察した名著です。

ハンナ・アーレント著の「全体主義の起源」は、国家社会主義、共産主義と言う代表的な二つの全体主義の共通の起源に付いて考察しており、こちらも有名な名著ですね。

ところで、最近日本では何故に?上記とは反対に、自由はナ◯スだなどと言われる迄に至ってしまったのでしょうか?

主な原因を述べる前に、日本語の「自由」の由来に付いて、始めに確認しておく必要があるかも知れません。

実はよく有る話ですが、日本語の自由と言う単語は、元々昔は違う語意の単語でした。何と怠けると言う語意の単語だったのです。翻訳時に訳語として使われた事で現在の語意が定着したと言われています。

それを踏まえた上で、何故に?日本では自由はナ◯スなどと言われる迄に至ったのか?と言う話に移りたいと思います。

私の記憶ですと、自由はナ◯スなどと言われ出したのは、20世紀後半に世界経済を席巻した、新自由主義と言う経済体制が新植民地主義等とも説明され、人々からも右派・右翼と認識されてから少し経ってからだった様に記憶しております。

実際、新自由主義は現在でも右派とされてもいます。そして新自由主義が植民地主義と同じ構造を持つと言う、海外の第一次産業の従事者からの告発により、日本では自由と言う言葉が一気に否定的なイメージを抱かせる言葉になったのは、現代の世代には記憶に新しい筈なのではないでしょうか?

実際、新自由主義と植民地主義は構造がとてもよく似ています。第一次産業に携わる発展途上国の生産者さん達は、それを理解して告発しているのは勿論です。

新自由主義と植民地主義が似ていると言うのは、どちらも生産国にモノカルチャー経済を強いる事で搾取を行なっていると言う経済構造に付いて言われている訳です。しかし、それが日本では告発内容とは違った受け取られ方をされてしまった事が、自由の名を貶める原因となりました。

かつての帝国主義時代、宗主国は植民地や保護国に対し、それぞれの地域に最も適した産物を生産させて安く買上げ、代わりに宗主国の工業製品を買わせると言う形で搾取を行なっていました。

これは、新自由主義経済の構造と確かに似ている所が多いですよね?新自由主義でも、それぞれの地域が得意な産業に特化して生産を行い、お互いに貿易を行えば、一番効率良く経済が回るとされます。

しかし、実際には第一次産業の生産者さん達は、取引上弱い立場に置かれ買い叩かれてしまう現実が在り、それが植民地主義と同じだと言う告発の内容だったのです。

この告発自体は真実です。

しかし、日本ではこの告発が誤解されて広まってしまいました。その一番の原因が、モノカルチャー経済による搾取と言う説明がすっ飛ばされて、ストレートにカツアゲの様にイメージされたからではないでしょうか?

日本は第二次世界大戦前、多くの植民地を支配していましたが、その支配地に於いて他の帝国主義国家程には明確なモノカルチャー経済は敷いておりませんでした。特に戦争中はまさにストレートなカツアゲを占領地に於いて行なっており、それは現地の人々が、何百年に渡る欧米による搾取よりも、数年間の日本による搾取の方が苦しかったと証言している事からも分かります。

歴史的な背景から、日本では植民地主義と言った時に、モノカルチャー経済による搾取と言うよりも、もっと直接的な搾取のイメージが強いのではないでしょうか?そして、それが新自由主義は植民地主義と同じとか右派だとか聞いた時の反応にも繋がっていると感じるのです。

そして、自由を忌避する意識は、エーリヒ・フロムやアンナ・アーレントが指摘する様に、人々が自らの権利を返上し、権力に集権化させる為の様々なツールに利用されてしまいます。

それは、名称としては常に新しい看板を掲げる為、偽装され易いのですが、集権化・集産化と言った部分では、右派左派問わず同じです。国家資本主義も国家社会主義も大して変わりません。戦前日本は前者で、戦前ドイツは後者だった事からもそれは明らかです。

(ナ◯スとは、国家社会主義ドイツ労働者党の略です。)

自由は、政治的自由以外にも様々な社会的場面でも重要な要素です。しかし、そんな場面で日本では、自由よりも保護が善とされがちな傾向があります。日本では困っている人が居た時に、彼が困り事から解放されて自由になる事よりも、保護してしまう方が優しいという感覚が強いのです。

これは、大昔にキリスト教を受容して以来、長年キリスト教的な社会が続いて来た様な社会と比較すると感覚はかなり異なるでしょう。何故ならばキリスト教の聖書では、キリストが来た理由はズバリ人々に自由を与える為であると書かれているからです。

以下は、キリスト教の聖書で該当する箇所の一つです。

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」ガラテヤ人への手紙‬ ‭5‬:‭13‬

つまり、聖書が廃れない限りは、自由も廃れないと言う事になりますが、ここ数年、欧米では急速に聖書が廃れてしまっているそうです…

欧米の文化歴史には、キリスト教以外にもう一つ、重要な要素が有ります。ルネサンスで復活したヘレニズムの要素ですね。つまり古代ギリシャ・ローマの伝統です。

古代ローマは、初めは王制から始まり、共和制、帝制へと政体が変化しました。帝制期には皇帝が居た訳ですが、皇帝はどの様にして誕生したのでしょうか?

ローマの皇帝は、オリエント世界の皇帝とは違い、始めからその様な地位が在った訳ではありません。初代皇帝が、様々な役職の権限をコツコツと兼任して集め、その実現した地位が後代に引き継がれた物です。ですから元老院議員達は、何と皇帝が誕生した瞬間にはそれに気付いていなかったのです。

キリスト教とルネサンス・ヘレニズムとは対立する別系統の物である訳ですが、キリスト教の聖書には最終話である巻に、神に敵対する勢力のラスボスとして獣の数字666と言う物が登場します。

666とは別に魔法の数字ではなく、ローマ帝国側に内容がばれない様に、ゲマトリアと言うユダヤ人にだけ分かる方法で表記した物です。その意味は皇帝ネロであり、彼はローマ皇帝の中でも、最もキリスト教を迫害した者として代名詞的に名を挙げられていると言われています。

キリスト教徒から見ると、皇帝などの政治権力は、神様とは別系統の物であり、様々な役職を兼任する事で権限を集め、初めは分からない様に実現された専制的な存在です。キリスト教が国教化された後でも、皇帝権力と教皇権力だけは兼任される事など決してありませんでした。

ところで。人々が自由から逃走し、自らの権利を返上して、集権的・集産的な制度に移行するとどうなると言う話だったでしょうか?エーリヒ・フロムやアンナ・アーレントが言う通り専制的な権力が生まれてしまう事になります。つまりこれは、古代ローマ時代から変わらない図式な訳ですね?

しかし、今回だけは、人類が永遠にデジタル全体主義の暗黒に閉じ込められるなんて事が果たしてあるでしょうか?過去の歴史と同じ様に、どこかの時点で専制はリセットされ、再び全体主義は滅びるのではないでしょうか。

聖書の結末は、まさに圧倒的な専制者が神により滅ぼされ、最早涙の流される事の無い平和な世界へとリセットされるストーリーになっています。

ですから、まるで世の中が聖書にある様な、人々の額や手首に獣の刻印が押され、それが無いと物を売る事も買う事も出来ない様なデジタル全体主義が実現しても、最後にはそれは滅ぼされて平和な時代が来るのではないかと思うのです。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」ガラテヤ人への手紙‬ ‭5‬:‭1‬ ガラテアは現代のトルコに在ったケルト人の町だった。

(日本では、聖書には右派の聖書と左派の聖書がある?などと言うガセが広まっているので、敢えて出版社が割れていなかった時代の聖書からコピペ致しました。)

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